東京高等裁判所 昭和38年(ネ)933号 判決 1966年2月03日
第九一七号控訴人
第九三三号被控訴人
(第一審被告)
神田駅前商業協同組合
代理人
荻山虎雄・外三名
補助参加人
本村幸一・外九名
代理人
飯田正直
第九一七号被控訴人
第九三三号控訴人
(第一審原告)
渥美源五郎
代理人
岡田実五郎・外二名
主文
一第一審被告の控訴に基き原判決を次の通り変更する。
第一審原告の第一次請求を棄却する。
第一審被告組合の昭和三四年四月一四日付臨時総会における別紙第一目録記載の決議を取消す。
二第一審原告の控訴を棄即する。
三訴訟費用及び参加費用は第一、二審を通じこれを二分し、その一を第一審原告の負担とし、その余は第一審の分を第一審被告と岡村、岡安を除く補助参加人八名の、第二審の分を第一審被告と補助参加人十名の各連帯負担とする。
事 実≪省略≫
理由
第一審被告組合(以下被告組合という)は昭和二四年二月二二日商工協同組合法に基き設立された神田駅前常設街商商業協同組合(以下街商組合と称する)を前身とするもので昭和二五年二月二五日中小企業等協同組合法(以下単に法という)による事業協同組合に組織を変更し同月二八日組織変更の登記をしたこと、第一審原告が街商組合と、組織変更後の被告組合の各理事長であつたことは当事者に争がない。
第一被告組合が成立するに至つた経緯と神田繊維会館の完成、入居に至るまでの経過。
<証拠>を綜合すると次の事実が認められる。
昭和二〇年八月戦争の終結と共に東京都内各所の焼跡に露天商が出現し都民は漸く復興の第一歩を踏み出すに至つたが、神田駅前を中心とする一帯にも露天商が多数営業を始めていた。第一審原告は渥美組の親分で神田駅前の露天商を糾合して神田街商親睦会を組織し次で商友会と呼称を改め自ら会長となつて会の運営にあたつていた。第一審原告は昭和二四年二月二二日右商友会を母体として街商組合を作りその理事長に就任したのであるが、その組合員には千代田区神田鍛治町二、三丁目の公道上やマーケツトで飲食店を営む者、商品の販売をなす者、靴磨、新聞、宝籤を販売する者を含み総員約四百名の大人数で、出資一口、五〇〇円、出資口数六二二口として設立登記を済ませたが組合員は零細な露天商が大部分であつたから出入は相当激しかつたがその加入脱退には必しも定款所定の手続を踏んでいなかつた。
然るところ同年八月四日附を以てマツカーサー総司令部は東京都知事に対し交通保安、防火活動、衛生環境、都市美観等の見地から昭和二五年三月末日限り東京都内公路上の露店を撤去すべき旨指示したので昭和二四年九月東京都知事、警視総監、消防総監は三長官連名を以て右趣旨の撤去通告書を各露天業者に交付した。露天業者は死活問題として反対したが総司令部の意向に反することは許されず東京都は整理方針として次の二つを示しその何れかによるべきことを勧奨した。
(1) 更生資金を得て転廃業する。
(2) 昭和二四年六月公布された中小企業等協同組合法に基く事業協同組合を作り東京都が斡旋する代替地に集団移転する。
街商組合の組合員の相当数は(1)の勧奨に従い転廃業したのであるが、商工組合法に基く街商組合は中小企業等協同組合法施行の日から八ケ月を経過した時なお現存するものはその時点において解散する旨同法施行法第三条によつて定められていたので、昭和二五年四月新法に基く組合として訴外組合の成立届が東京都に提出された際には右転廃業者を除外した結果組合員は一四二名として届出された。右一四二名の組合員はその頃露天整理の対象から除外された靴磨等僅少の特定業種に従事している者を除きその大部分が(2)の方針に従い集団移転を希望していたので被控訴人ら組合役員は東京都と接渉の結果訴外組合は昭和二五年一〇月二五日東京都から集団移転のための代替地として浜町河岸の埋立地(現在の地番、千代田区神田豊島町二番地)の払下を受けることになり、この売買契約に各組合員が連帯債務者となることになつたのであるが組合員の中には右代替地は営業に適しないとして集団移転の希望を撤回する者もあつて契約書に署名捺印した者は九二名に減少し、更にその後昭和二六年二月被告組合は右地上に建てる店舗の建築資金として都の斡旋によつて商工中央金庫から二回に亘つて金一、一四〇万円を借入れ右借入金の返済や土地代金支払、諸入費に充当する為に移転希望の組合員は二〇〇円宛を日掛積立することを申合せたのであるが右積立の困難なために集団移転を断念する者も生じ移転希望者の数は更に減少した。一方東京都の露店整理事業は進歩し、昭和二六年一〇月迄に神田鍛治町二丁目及び三丁目の露店(但し靴磨き、新聞及び宝くじ販売業者を除く)は全部撤去せられた。被告組合が代替地浜町河岸に建築を始めた店舗は資金や請負業者の都合で延引を重ねた末昭和二七年五、六月頃漸く落成し神田繊維会館と命令されたが同会館内店舗の割当を開始する際入居を希望した者は三五名になつていた。ところが会館内の店舗はその位置によつて営業成績に甚しい差等を生ずる構造であつたので入居希望者に対する店舗の割当は抽籤で決定したが不利の店舗を割当られたとして入居を断念する者もあつて、結局同年七月現実に神田繊維会館に入居した者は一八名になつてしまつた。
第二被告組合員の資格要件として定款に定める「地区」の解釈
第一審原告は被告組合の定款第三条に「本組合の地区は東京都千代田区神田鍛治町二丁目及三丁目の区域とする」同第八条に「本組合は当地区内に於て営業する者を以て組織する」と定められているからこの地区で営業をすることが被告組合員たる資格要件であると主張し、第一審被告及び参加人らは前述マツカーサー総司令部の指示に基く東京都知事、警視総監、消防総監の連名通告により昭和二五年三月末日限り街商が禁止されその結果被告組合員らは廃業又は代替地に集団移転することを余儀なくされたのであるから右定款の規定は当然失効し代替地神田繊維会館に入居して営業をする者のみが被告組合員たる資格を有するものであると主張する。
法第三三条によれば協同組合の組合員たる資格要件は定款の必要記載事項であり、之を変更する場合は総会の議決を経て行政庁の認可を受けなければその効力を生じないことは同法第五一条に定めるところである。被告組合の定款第三条及び第八条に第一審原告主張の如き定めがあり、その変更の手続がなされていないことは<証拠>により明かであるから右定款の規定上から言えば第一審原告の主張は一般論としては正しい。
然し乍ら第一に於て認定した事実に弁論の全趣旨を彼此綜合して考えると次のように推認することができる。すなわち曾て神田鍛治町二丁目三丁目の公路上で露天商を営んでいた街商組合の組合員らは昭和二四年九月突如として前記三長官連名による露天商禁止の通告を受けた結果彼らとしては東京都の整理方針に従い廃業して他の場所に移転するか、或いは東京都の斡旋する代替地に集団移転するかいずれかの途を択ぶより外ないこととなり、右組合員中には後者の集団移転を希望する者が相当数あつた。このように被告組合の前身である街商組合の時代からその組合員中の一部の者は東京都の斡旋する代替地に移転し営業をすることが予定されていたのであるが昭和二五年二月組織変更により被告組合が成立した当時には未だ移転すべき、代替地が具体的にきまつていなかつたので組織変更に際し組合地区に関する定款の規定は街商組合時代のものをそのまま踏襲したに過ぎず後日代替地が決定の上はその地区を組合地区として定款変更手続をすることを組合の理事長であつた第一審原告は勿論その他集団移転を希望する組合員らはいずれも当然のこととして予定していたのであり、第一審原告は理事長として右定款変更のための総会をその当時招集すべきであつたのである。
以上のようにみてくると、被告組合の右定款の規定は、組合員の資格に関する限り、その文言に拘らずこれに一つの拡張解釈を加え右代替地、すなわち前記神田繊維会館の所在地区もまた定款所定の組合地区に包含されるものと解するのが相当である。けだし、もし右と異り第一審原告の主張するように解するときは本来被告組合員のための共同施設として建設せられた神田繊維会館であるに拘らず同会館を利用して営業する者は同時に鍛治町二、三丁目に営業所を有しない限り被告組合の組合員となり得ないこととなり、このようなことは法の精神にも反し到底是認できないからである。また第一審被告及び参加人らは右定款の規定は当然失効したというけれども、右定款の規定を変更する手続がなされておらずしかも後に認定するように被告組合の成立当時から引続き組合員として右定款記載の地区において営業をしている者が現に存する以上、もし第一審被告の見解に従えばこれらの者の組合員資格を不当に奪う結果となり、これまた到底是認できないところである。従つて、この点に関する第一審原告及び被告らの主張はいずれもそのままこれを採用することができない。
第三昭和三四年四月一四日の本件決議当時における被告組合の組合員について。
昭和三四年四月一四日別紙第三目録上段記載の木村とめ外九名が神田繊維会館事務所に会合して被告組合の臨時総会を開き別紙第一目録記載の通り役員の選任を決議(以下本件決議という)し同年四月一六日その旨の役員変更登記をしたことは当事者間に争がない。
そこで第二において示した定款第三条及び第八条に関する当裁判所の解釈を前提として、本件決議当時における被告組合の組合員について具体的に検討する。
(一) 第一審原告は右決議当時被告組合員であつたと第一審被告及び参加人らの主張する別紙第三目録上段記載の一〇名はいづれももと定款に定められた神田鍛治町二丁目、三丁目に営業所を有していたが昭和二六年一〇月末日までに右地区内における営業を廃止したから組合員資格を喪失したと主張し右一〇名が鍛治町二、三丁目における営業を廃止したことは当事者間に争いがない右一〇名のうち石川幸七を除く九名が神田繊維会館に入居し営業を始めたことは第一審原告の認めるところであつて、前記第二において示した当裁判所の解釈に従えば神田繊維会館は被告組合の定款第三条及び第八条の地区内に入ることとなるから、右九名が神田鍛治町における露店を廃止して神田繊維会館に入居したことにより組合員資格を失つたとする第一審原告の主張は失当である。(石川幸七については後述する。)
(二) 第一審原告は更に仮に神田繊維会館を定款に定める組合地区の延長とみる解釈が許されるとしても右会館において自ら営業をしていることが組合員としての資格要件と考えられるのに、右会館に入居した別紙第二目録記載の一一名のうち木村とめ、岡安宗一、高橋高治、藤本竹松、松沢八重子、栗原千賀良は会館に入居当初は営業していたがその後割当られた店舗を他人に賃貸して営業を廃止しており、また石川幸七は会館において営業をしたことは全くないから、これらの者はいずれも本件決議当時組合員ではないと主張する。
(1) 石川幸七。同人が街商組合時代から引続き被告組合の組合員であつたことは<証拠>によつて認められ被告組合になつてからも神田繊維会館に入居を希望し東京都との土地売買契約や商工組合中央金庫との消費貸借契約に連帯債務者又は連帯保証人となり、日掛積立金八万円を被告組合に支払い(この支払の事実は当事者間に争いがない)昭和三四年一月当時の組合員名簿にもその氏名が登載され、第三目録上段記載その他の九名と同様に組合員として処遇されていたことは右各証及び<他の証拠>により明らかである。もつとも<証拠>によると石川幸七は会館に入居後はもつぱら組合の事務を担当し自らは営業していないことが認められるが<証拠>によると石川幸七は皮革製品の販売業者で神田繊維会館に入居開店することを望んでいたが適当な部屋の割当が得られず第一審原告から他日良い場所が空いたら割当るからと言われ出店の権利を留保して組合の事務に従い第一審原告を補佐して来たことが認められる。被告組合の定款第八条によれば、組合地区における営業者であることが組合員たる資格の存続要件であると解すべきであるけれども、右認定の事実関係からすれば、石川幸七は会館内において営業することを断念したわけではなく、会館内に適当な店舗が得られるまで一時休業状態にあるものとしてその組合員資格を失わないものと解するのが相当と考えられる。従つて同人は本件決議当時まで引続き被告組合の組合員であつたものというべく、右に反する第一審原告の主張は採用できない。
(2) 木村とめ、岡安宗一、高橋高治、藤本竹松、松沢八重子、栗原千賀良。右六名が被告組合の成立当時その組合員であつたことは第一審原告の明かに争わないところであり、また同人らが神田繊維会館に入居し営業を始めたことも当事者間に争いがない。<証拠>によると右木村とめ以下六名が会館に入居後それぞれ他に店舗を賃貸した事実のあることが認められるけれども<他の証拠>並びに弁論の全趣旨を綜合すると右六名が店舗を他に賃貸したといつても夫々自己の営業を廃止したのではなく一時の休業をしたか或いは共同経営ないし会社経営の形をとつて運営していたものと認めるのが相当であり、右認定に反する<証拠>は採用し難く他に右認定を覆すに足る証拠はない。右の如き行為が法第一九条又は定款第一三条に定める組合員の除名事由に該当することのあるは格別これを以て法定脱退事由と解することは右(1)の場合と同様相当でない。従つて、右六名の者は組合員資格を失うことなく、本件決議当時被告組合の組合員であるといわなければならない。≪後略≫(岸上康夫 小野沢龍雄 斎藤次郎)